郡上八幡城の歴史
郡上八幡城へ行くなら、事前に歴史を知っておくと訪れる楽しみがより広がります。
郡上八幡城の歴史
郡上八幡城は5氏19代にわたり治められた城で、戦国時代末期の永禄2年(1559年)、遠藤盛数が戦のための陣を置いたことがはじまりでした。盛数の後を継いだ息子の遠藤慶隆が城下町や城を建て、その後、稲葉貞通の改修により本格的な山城として整備されました。江戸時代の寛文7年(1667年)、遠藤慶隆の孫にあたる遠藤常友が幕府の許可を得て城の大改修を行い、現在に繋がる「水の城下町」を建設したと言われています。そしてこれらの業績が幕府に認められ、「城主格」から「城主」の称を許されたのです。その後、井上氏・金森氏が相次いで治めましたが、宝暦騒動(郡上一揆)により青山幸道が郡上藩を治めることとなり、以後七代111年もの間、青山氏の時代が続いたのです。
「山城」ってどんなお城?
「山城」とは、その名の通り山に築かれた城のことで、天下が統一される以前、戦が日常的に続いた南北朝時代~戦国時代に多く建築されたと言われています。険しい山を削り、堀り、土を盛るなどして堀や土塁を造成した城のことを指し、「中世城郭」とも呼ばれています。そしてこの郡上八幡城も、急峻な山を利用し防御力の高い要塞として建てられた「山城」のひとつ。実際に城へと続く坂道を歩いて上り、中世の城攻めを想像したり、山城の防御方法を思い浮かべれば、より城を楽しむことができるでしょう。