明建神社と七日祭
明建神社はもともと、鎌倉時代に承久の乱の戦功により東氏(とうし)一族がこの地を与えられ、下総国(しもうさのくに)(現在の千葉県)から入封してきた際に勧請(かんじょう)した神社で、妙見大菩薩を祀り、江戸時代までは妙見宮(みょうけんぐう)や妙見社と呼ばれていました。星祭りの7月7日(新暦では8月7日)に祭礼として執り行う「七日祭」も東氏によって伝えられたもので、800年余りの歴史があるとされています。この祭礼の奉仕者は、今でも役割を世襲で受け継ぐ宮座制で、祭礼の1週間前から精進潔斎して祭礼に臨みます。祭礼は「神事」、「渡御(とぎょ)」、「野祭り」の順に執り行われます。
【神事】
奉仕者は水を浴びて心身を清めてから集まり、供饌(きょうせん)と撤饌(てっせん)、神前の儀、神移りの儀の順に神事を執り行います。
【渡御(とぎょ)】
先導から獅子までの大人と、篠葉踊子と呼ばれる8人の子どもが行列をなし、拝殿の周囲を右回りに3度まわった後、神輿をかついで参道を下ります。そして、樹齢700年余の「神迎え杉」から「神帰り杉」まで桜並木が続く230メートルの横参道を往復します。神帰り杉から折り返してしばらくの間、獅子は猛り狂い、篠葉踊子たちの持つ「竹はやし」を激しく噛みます。
【野祭り】
(野祭り)神前の舞い
祭礼のクライマックスともいえる「野祭り」は、中世の芸能「田楽」の流れを汲み、神前の舞、杵振りの舞、獅子起こしの舞を奉納します。中でも杵振りの舞で、餅をつく所作をする杵振りが、杵を天高く放り上げて受け止める様子は圧巻です。
(野祭り)杵振りの舞い
(野祭り)獅子起こしの舞い
野祭りが終わると、再び行列をととのえて拝殿に戻り、神輿に移してあった幣(ぬさ)を本殿神前に戻して祭礼が終了となります。
(野祭り)杵振りの舞い