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薪能「くるす桜」

薪能「くるす桜」

薪能「くるす桜」

古今伝授の里・郡上大和の拝殿で 厳かに上演される薪能 「くるす桜」
薪能「くるす桜」

薪能「くるす桜」

郡上市大和町にある明建(みょうけん)神社では、毎年8月7日の例大祭「七日祭(なぬかびまつり)」が行われた後、奉納薪能として「くるす桜」が上演されます。この「くるす桜」は、室町時代のこの地の領主であった東氏9代目・東常縁(とうのつねより)をモデルとして書かれた謡曲を興してつくられた能です。樹齢数百年を数える杉の木立に囲まれた、荘厳な雰囲気の拝殿で優雅に演じられる能は、まるで一幅の物語絵を見ているかのようです。「古今伝授の里」と呼ばれる郡上大和で、地域の人々の強い想いとともに昭和63年(1988年)から上演されてきた薪能「くるす桜」を通して、文化豊かなこの地で受け継がれてきた和歌の心に触れることができます。

薪能「くるす桜」

薪能くるす桜1
薪能くるす桜2
薪能くるす桜3
薪能くるす桜4

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薪能くるす桜1
薪能くるす桜2
薪能くるす桜3
薪能くるす桜4

明建神社はもともと、鎌倉時代に承久の乱の戦功により東氏一族がこの地を与えられ、下総国(しもうさのくに)(現在の千葉県)から入封してきた際に勧請(かんじょう)した神社で、妙見大菩薩を祀り、江戸時代までは妙見宮(みょうけんぐう)や妙見社と呼ばれていました。星祭りの7月7日(新暦では8月7日)に祭礼として執り行う「七日祭」も東氏によって伝えられたもので、800年余りの歴史があるとされています。この祭礼の奉仕者は、今でも役割を世襲で受け継ぐ宮座制で、祭礼の1週間前から精進潔斎して祭礼に臨みます。祭礼は「神事」、「渡御(とぎょ)」、「野祭り」の順に執り行われます。
毎年8月7日の晩に明建神社で奉納される薪能「くるす桜」。この辺り一帯は古くは「くるす」と呼び、栗巣や栗栖と書かれます。「くるす」にある明建神社の100本ほどの桜並木は、江戸時代から桜の名所として知られ、最近では「飛騨・美濃さくら33選」に選定されるほどの名所で、春になると美しい桜のトンネルとなります。薪能「くるす桜」は、まさに物語の舞台にゆかりの地である明建神社で上演されているのです。
その「くるす桜」が上演されるようになったのは、古今伝授の里と呼ばれる郡上大和の文化豊かな土壌と、和歌の心に親しんできた多くの人々の想いがあったからでした。
昭和54年(1979年)に篠脇山の麓で東氏の居館跡が発見され、発掘調査によって見事な庭園遺構が現れます。そして、昭和62年(1987年)に国名勝に指定されたのを機に、会員200人余が集まり「東氏文化顕彰会」が発足し、短歌大会や学習会などが行われるようになりました。その中で、郡上市八幡町の村瀬家に所蔵されていた謡曲本「久留春桜」を原本として、能を上演しようという機運が高まり、昭和63年(1988年)に、京都の能楽師・味方健さんらの手によって能「くるす桜」が生まれました。さらに大和町では商工会青年部が中心となり、有志を募って薪能くるす桜実行委員会を結成。ついに、同年8月7日の夜、明建神社の拝殿ではじめての薪能「くるす桜」が上演されました。会場には1200人もの観客が訪れて境内を埋め尽くし、大成功を収めました。

御燈移し(みあかしうつし)
―能舞台を照らす三種の火―

「くるす桜」が開催される前の週には、薪能の篝火(かがりび)を運ぶ「御燈移し」が行われます。篝火には、伝統の炎として「千葉家の火」と「白山の火」、未来の炎として「篠脇の火」の3つの火が使われます。

東氏の来郡に帯同した千葉家は現在の明宝気良に居を構え、その際におこした火を800年余を経た現在まで絶やすことなく守り続けてきました。この火は、現在も明宝地域の有志の方々により守り続けられています。その火を分火してもらい、明建神社まで運びます。

「くるす桜」の原作は白山長瀧寺の僧と深く関わりがあると考えられ、それにちなみ白山山系の頂上で太陽光から採火し、明建神社まで運びます。

国名勝・東氏館跡庭園で地元の子どもたちの手によって、太陽光から採火し、明建神社まで運びます。

「くるす桜」のあらすじ

薪能くるす桜5
薪能くるす桜6
薪能くるす桜7
薪能くるす桜8

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薪能くるす桜5
薪能くるす桜6
薪能くるす桜7
薪能くるす桜8

白山の僧が都へのぼる途中、妙見宮に立ち寄ります。そこにあらわれた老翁から、この地のいわれや杉木立の中のくるす桜のことなどを聞きます。その夜、花の下で仮寝をする旅の僧の夢に、さきほどの老翁が衣冠を整えた姿で再びあらわれ、みずから東常縁であることを明かし、和歌の真を語り、いにしえの優美な「大和舞」を舞って消えていきます。東の空が白んで目覚めた僧の前には、常縁の姿はなく、桜の花が雪のように舞い散るばかり。ただ、常縁が「植ゑ添えよ花の種、色添えよ心の花」と切実なまでに繰り返し訴えた言葉が、僧の耳に残るのでした。

能の"原点"に帰り、
神様の前で舞う「くるす桜」

能楽師・味方團(みかたまどか)さん

謡曲をもとに能「くるす桜」の台本を書きあげた能楽師・味方健さんの次男で、昭和63年(1988年)の初上演から薪能「くるす桜」の舞台に立ち続けている能楽師・味方團さんにお話を伺いました。

私が初めて明建神社の舞台に立ったのは18歳のときでした。運転免許を取ったばかりで、新幹線で京都を出て、岐阜羽島で降り、そこから父と母を車に乗せて移動したのですが、郡上大和までは思った以上に遠く、ひたすら運転しながら、「日本は広いなぁ」と思ったのを覚えています。そして、たどりついた明建神社の舞台に初めて立ったとき、何か“原点”に帰ったような気がしました。能楽堂などの屋内で演じるのとは違う、空気や匂い。昔、能は天下泰平や五穀豊穣を願い、神事としてこういった場所で演じられていたのだということを実感したんです。屋外の拝殿に立ち、神様の前で能ができるありがたさを感じました。

能は所作や作法、歩く場所や止まる場所まで、すべてが一つ一つ細かく決まっていて、とても集中力がいります。しかし、世阿弥の言葉に「離見の見」、つまり演者は自分の体を離れた冷静で客観的な目を持つことが大切だという意味の言葉があるように、演ずることに気持ちは入っていなければいけませんが、熱くなりすぎて冷静さをなくしたり、自己満足に陥ったりしてはいけないわけです。「くるす桜」の舞台に立っていると、ヒグラシが鳴いたり、拝殿を風が吹き抜けたりして、すごく気持ちがいい。そうやって、ふと自然が演技を底上げしてくれる、助けてくれる瞬間があるんですよね。さらに、拝殿からは本当にそこに篠脇山が見える。だからこそ、「植ゑ添えよ花の種、色添えよ心の花」という言葉に込められた、この地に和歌の文化が根付き、広がってほしいというメッセージを、みなさんにより強く伝えることができるんです。そういった自然を味方につけることができる、あの明建神社のロケーションは本当に素晴らしいと思います。

今は舞台以外に少なくとも年3回郡上大和を訪れて、郡上市立大和南小学校の5年生と6年生に指導をしています。最初は教室で実際の能面を見せて能の話をしたり、謠(うたい)や舞を見せたりしていたんですが、子どもたちはとても素直でかわいらしく、吸収も早くて、一緒に繰り返すうちに、すぐに「くるす桜」を覚えてしまうほどでした。そこで、「くるす桜」以外の唄と舞を教えて、一緒に舞台に立つことにしたんです。先生たちもフォローをしてくださり、当日に子どもたちに浴衣を着させてあげようと地元の人も協力してくださったりと、薪能「くるす桜」にいろんな人の想いが重なっていくようになりました。

私は京都で生まれ育ったので田舎がなく、子どもの頃は田舎ってなんだろうと思っていたんですが、「くるす桜」の縁で毎年郡上大和を訪れるようになり、ときには大工さんや地元の方たちと一緒に舞台の大道具や小道具をつくったりして、最近は自分の子どもを鮎を食べに郡上大和に連れてきたいと思うようにもなりました。私にとって「くるす桜」の舞台である郡上大和こそ、田舎であり、ふるさとなのかもしれません。

<イベント:薪能「くるす桜」>
開催場所明建神社 ※雨天時の会場は当日正午に発表されます
住所〒501- 4608 岐阜県郡上市大和町牧
電話番号 0575-88-2211(郡上市役所大和振興事務所)
0575-88-3244(古今伝授の里フィールドミュージアム)
営業時間 16時30分開場、17時開演 ※変更の場合あり
料金 自由席3000円、指定席4000円、当日自由席3500円
備考 会場周辺の駐車場は数に限りあります。当日は郡上市
役所大和庁舎南側駐車場が臨時駐車場となり、会場ま
での無料シャトルバスが正午から随時運行しますので
ご利用ください。